顕如上人蟄穴
佐野川村新川又七郎第宅の境地竹林の中にあり
天正八年閏三月五日信長と本願寺和平調ひ同月廿七日顕如上人紀州雜賀へ御退去あるべきとて大坂より御舩にて四月九日佐野川北出の濵へ御着岸ある
和泉の門徒等新川与市と共に新川の家宅へ請し入ける時に織田の諜者窺ひ來るを察し藪の中に穴を深く掘て其内に蟄し置けり
果して兵卒來り所々を捜しぬれとも更に隠し置躰なしこれによつて又雜賀の方追駈行けり
これより諺に存寄ぬ事を顕如もないとは此時の言より云ならはせり
信長亡滅の後貝塚御堂に三年御居住の時時々新川氏への來駕ありて祖師御影像蓮如上人御真筆に山科御建立の御文章等今に新川氏の家に秘藏しけるとそ聞へし
天正八年閏三月五日信長と本願寺和平調ひ同月廿七日顕如上人紀州雜賀へ御退去あるべきとて大坂より御舩にて四月九日佐野川北出の濵へ御着岸ある
和泉の門徒等新川与市と共に新川の家宅へ請し入ける時に織田の諜者窺ひ來るを察し藪の中に穴を深く掘て其内に蟄し置けり
果して兵卒來り所々を捜しぬれとも更に隠し置躰なしこれによつて又雜賀の方追駈行けり
これより諺に存寄ぬ事を顕如もないとは此時の言より云ならはせり
信長亡滅の後貝塚御堂に三年御居住の時時々新川氏への來駕ありて祖師御影像蓮如上人御真筆に山科御建立の御文章等今に新川氏の家に秘藏しけるとそ聞へし